くすのき祭とは

くすのき祭は1948年に始まり、今年で77回目を迎える埼玉県立川越高等学校の文化祭です。
「くすのき祭」という名称は、校内にそびえ立つ大きなクスノキに由来しています。
2002年には、本校水泳部が文化祭で披露しているシンクロ演技をモデルにした映画「WATER BOYS」が公開された影響もあり、来場者数は歴代最高の30690人を記録しました。 現在でも毎年10000人以上の方々が足を運んでくださっています。
高さ約10メートルにも及ぶ木造の「門」も見どころの1つです。多くの実行委員の思いが込められた門は壮観で、くすのき祭の顔として、毎年その高い完成度から注目を集めています。
これまでに作られてきた門はこちらから見られます!
自主自立の校風のもと、企画から実行までを"すべてを生徒が主体となって"運営し、 部活やクラスなどから構成される団体による展示や発表には個性豊かなものが並びます。

くすのき祭の歴史

くすのき祭は76年の時を歩んできました。ここではその一部を紹介します。

◇◇  文化部期【第1回(昭和23年)~第18回(昭和40年)】◇◇

1948 (昭和23) 年9月2,3日に行われた自由作品展覧会(記念展覧会)から1966 (昭和41) 年に運動部の参加が認められるまでの文化部の展示・発表のみで構成されていた時期です。
ちなみに1948年は記録上の第1回目の文化祭ですが、「文化祭」の名称が使われ始めたのは、1952 (昭和27) 年11月15,16日に行われた美術・書道・山岳・物理・図書の5つの部活動による合同展示発表会からです。これは、東京大学の文化祭「五月祭」の影響を受けたものです。

◇◇  娯楽化期【第19回(昭和41年)~第33回(昭和56年)】◇◇

1966(昭和41)年に全ての部活動の参加が認められました。
1969(昭和44)年、第22回から、文化祭の名称が現在の「くすのき祭」になりました。
1970(昭和45)年、第23回から、3年生のクラス参加が認められました。これは、文化部の展示発表がマンネリ化した当時の状況を打破するための措置でしたが、その後の文化祭の娯楽化の流れを決定づけるものとなりました。
1977(昭和52)年、第30回から、くすのき祭スローガンの募集も始まりました。この年は30周年でもあったため、文化祭予算も前年度の倍の40万円になり、講演会を開くなどの記念行事が行われました。
1978(昭和53)年、第31回には、来場者が確認できる上では初めて1万人を超え、早くも大文化祭への道を歩み始めます。

◇◇  全国規模期【第36回(昭和58年)~第72回(令和元年)】◇◇

1983(昭和58)年、第36回から、1・2年生のクラス参加が認められるようになりました。御馴染みの門も年々大型化しています。
1988(昭和63)年、第41回には、全国的に有名な水泳部のシンクロが始まりました。
1996(平成6)年、第47回には、NHKの番組で松山高校と対決という形でTVに取り上げられました。
2002(平成14)年、映画「ウォーターボーイズ」のモデルとなり、来場者数3万人という全国的に例を見ない大記録を打ち立てました。

その後もテレビ番組などの各種メディアに取り上げていただき、くすのき祭は成長を続けてきました。

◇◇  中断期【第73回(令和2年)~第74回(令和3年)】◇◇

2020(令和2)年、新型コロナウイルスの流行に伴い、7月10日に行われた生徒総会にて公開の中止が決まりました。
2021(令和3)年、新型コロナウイルスの感染対策のため、公開が中止されました。なお、YouTube や cluster を用いての公開を行いました。

◇◇  再興期【第75回(令和3年)~現在】◇◇

2022(令和4)年、4月27日に県から文化祭の一般公開を禁じる旨のガイドラインが発表されましたが、春日部高校を中心とした署名活動の結果、ガイドラインが変更され、3年ぶりの一般公開を行えました。入場者数に制限をかけた形とはなりましたが1万人弱の方が来場されました。
2023(令和5)年、入場者数に制限をかけずに公開を行い新型コロナウイルスの流行前と同じ水準である1万5千人の方が来場されました。

 

失われかけた伝統を取り戻し、これからもくすのき祭は更なる発展を遂げていきます!

くすのき祭は76年の時を歩んできました。ここではその一部を紹介します。

◇◇  文化部期【第1回~第18回】◇◇

1948 (昭和23) 年9月2,3日に行われた自由作品展覧会(記念展覧会)から1966 (昭和41) 年に運動部の参加が認められるまでの文化部の展示・発表のみで構成されていた時期です。
ちなみに1948年は記録上の第1回目の文化祭ですが、「文化祭」の名称が使われ始めたのは、1952 (昭和27) 年11月15,16日に行われた美術・書道・山岳・物理・図書の5つの部活動による合同展示発表会からです。これは、東京大学の文化祭「五月祭」の影響を受けたものです。

◇◇  娯楽化期【第19回~第33回】◇◇

1966(昭和41)年に全ての部活動の参加が認められました。
1969(昭和44)年、第22回から、文化祭の名称が現在の「くすのき祭」になりました。
1970(昭和45)年、第23回から、3年生のクラス参加が認められました。これは、文化部の展示発表がマンネリ化した当時の状況を打破するための措置でしたが、その後の文化祭の娯楽化の流れを決定づけるものとなりました。
1977(昭和52)年、第30回から、くすのき祭スローガンの募集も始まりました。この年は30周年でもあったため、文化祭予算も前年度の倍の40万円になり、講演会を開くなどの記念行事が行われました。
1978(昭和53)年、第31回には、来場者が確認できる上では初めて1万人を超え、早くも大文化祭への道を歩み始めます。

◇◇  全国規模期【第36回~第72回】◇◇

1983(昭和58)年、第36回から、1・2年生のクラス参加が認められるようになりました。御馴染みの門も年々大型化しています。
1988(昭和63)年、第41回には、全国的に有名な水泳部のシンクロが始まりました。
1996(平成6)年、第47回には、NHKの番組で松山高校と対決という形でTVに取り上げられました。
2002(平成14)年、映画「ウォーターボーイズ」のモデルとなり、来場者数3万人という全国的に例を見ない大記録を打ち立てました。

その後もテレビ番組などの各種メディアに取り上げていただき、くすのき祭は成長を続けてきました。

◇◇  中断期【第73回~第74回】◇◇

2020(令和2)年、新型コロナウイルスの流行に伴い、7月10日に行われた生徒総会にて公開の中止が決まりました。
2021(令和3)年、新型コロナウイルスの感染対策のため、公開が中止されました。なお、YouTube や cluster を用いての公開を行いました。

◇◇  再興期【第75回~現在】◇◇

2022(令和4)年、4月27日に県から文化祭の一般公開を禁じる旨のガイドラインが発表されましたが、春日部高校を中心とした署名活動の結果、ガイドラインが変更され、3年ぶりの一般公開を行えました。入場者数に制限をかけた形とはなりましたが1万人弱の方が来場されました。
2023(令和5)年、入場者数に制限をかけずに公開を行い新型コロナウイルスの流行前と同じ水準である1万5千人の方が来場されました。

 

失われかけた伝統を取り戻し、これからもくすのき祭は更なる発展を遂げていきます!